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史上初!猫城主さまの御にゃ#12316;り#12316;。
被災したまちを救ったのは、猫のお殿さまでした。
今日も家臣をひきつれて、城内を散策中。
*この本の印税の一部は、備中松山城の
観光事業推進などのために役立てられます。
西松 宏 作 2019.07.26 発行
ISBN 978-4-89295-0081-7 C8093 A5上製 136ページ
内容紹介
岡山県高梁(たかはし)市にある備中松山城は、国内の現存天守12城のなかで唯一の山城です。
現存天守とは、江戸時代までに建てられ、修復、保存されるなどして現在まで残っている天守のこと。
天守は臥牛山(標高480メートル)の430メートル地点に建ち、天守が残る山城としては、日本一の高さを誇ります。
秋から冬にかけては、雲海が広がる幻想的な光景がみられ、「天空の山城」としても人気です。
砦が築かれたのは鎌倉時代の1240年。
以来、歴代の城主は、山の岩盤にそびえるこの難攻不落の城を守ってきましたが、
元号が「平成」から「令和」へと変わった2019年のいま…
城主は、なんと猫になりました!
その名も「さんじゅーろー」。
茶白の毛並みに、しましまの尻尾が立派な、オス猫(推定4歳)です。
なんだか武士のような名前のわけは、あとで説明するとして、さんじゅーろーは、城を管理する「一般社団法人高梁市観光協会」の職員たちがお世話をしています。
本丸にある備中松山城管理事務所が、さんじゅーろーの住まいです。
その事務所のなかに、ケージやトイレが置いてあり、本丸公開時間中は、城の管理人とともに、ここでのんびりと過ごしています。
高い山の上ですから、さんじゅーろーに会いに行くのは、容易なことではありません。
車で行くことができるのは、8合目のふいご峠まで。そこにある登城口から天守までは、およそ700メートルあります。
登城口には杖が用意されていますから、その杖をつきながら、急な山道や階段を、ゆっくりと登っていきます。
この山歩きも、山城を訪れる楽しみのひとつです。
春に山を訪れば、新緑の芽が出始めたばかりの木々の間を、ウグイスの鳴き声が響き、ピンクのツツジが、山道を彩ります。
山には、天然記念物の猿が生息しており、運がよければ、猿の群れに会えるかもしれません。
高梁市中心部の街並みを見おろせる高さまでやってくると、爽やかな風が頬をなでます。
自然の岩壁と人工の石垣が見事に調和した大手門跡をはじめ、土塀、三の丸、二の丸と順に通り過ぎていけば、本丸にある天守は、もうすぐ目の前。
乱れた息を整え、あふれ出る汗をぬぐって、本丸の南御門をくぐると、
「備中松山城へ、よくぞまいられた!」
といわんばかりに出迎えてくれるのが、猫城主のさんじゅーろーです。
「この子がうわさの猫城主さまね!」
「こんなにかわいい猫ちゃんに会えるなんて!」
「がんばってここまで登ってきた甲斐があったよ」
さんじゅーろーと初めて会った観光客たちは、そんなことを言いながら、一緒に記念写真を撮ったり、頭をなでたりして、みんなとても嬉しそう。
さんじゅーろーは、誰にさわられても嫌がらず、ときには自分から観光客の足元に近寄っていって体をスリスリしたり、手や顔をペロペロなめたりと、いつもマイペースで過ごしています。
一度にたくさんの人たちに囲まれても、決して動じることはありません。
そんなさんじゅーろーにひとたび会うと、その魅力にはまってしまう人は多いのです。
出会った人たちを、たちまちメロメロにしてしまうなんて、さすがは猫城主さまです。
「殿、そろそろ城の見回りに参りますぞ」
“家臣”である城の管理人がそう声をかけると、
「にゃー、にゃー!」
と声をあげ、
“殿”は今日も、家臣を連れて、城内の見回りに出かけます。
2018年7月、西日本の広い範囲を襲った西日本豪雨災害では、高梁市も甚大な被害を受けました。
そのため、城見学にやってくる観光客は激減しました。
しかし、豪雨災害後、さんじゅーろーが城に住み着くようになり、新聞やテレビなど多くのメディアに取り上げられるようになると、来城者数は、奇跡ともいえる「V字回復」を果たしたのです。
なぜ、さんじゅーろーは、城で暮らすようになり、猫城主にまで出世したのでしょう。
いまでこそ、幸せに暮らし、観光客を“おもてにゃし”しているさんじゅーろーですが、こうなるまでには、つらく悲しい出来事やピンチがありました。
さんじゅーろーを取り巻く人たちは、それらをどう乗り越え、喜びやチャンスへと変えていったのでしょうか。
目 次 ――
はじめに
第1章 かつてない豪雨災害
第2章 救世主あらわる
第3章 なつめ
第4章 まちをあげての大捜索
第5章 みんなが幸せに
あとがき
「思う」と「考える」の意味はどういうふうに違うのですか。
「思う」も「考える」も思考に関する動詞ですが,その思考のニュアンスが異なります。大きな違いは,「思う」は「情緒的・一時的な思考」,「考える」は「論理的・継続的な思考」というニュアンスをもっている点です。このこととも関連して,その思考を「自分の意志でコントロールできる度合い」は「思う」より「考える」の方が強くなります。次の文を比べてみましょう。
(1)子どもの将来を思う。
(2)子どもの将来を考える。
「子どもの将来を思う」で思考されるのは希望や不安といった情緒的・感情的な内容であることが多く,「子どもの将来を考える」で思考される内容は,教育や経済状況等,論理的・理性的なものになります(もちろん,考えた結果,希望や不安等の感情をもつことはありえます)。
文を少しかえてみます。「子どもの将来をじっくり考える」は自然なのに対し,「子どもの将来をじっくり思う」という表現は使いにくいですが,これは,「考える」のもつ継続的思考・「思う」のもつ一時的思考というニュアンスのためです。また,「考える」ことは自分の意志でコントロールできるため,「今から子どもの将来を考えよう」のように言うことができます。これと比べると,「思う」は自分ではコントロールしにくい思考行為であり,「今から子どもの将来を思おう」は不自然な表現になります。
さて,「思う」と「考える」の違いがよくあらわれている例をさらにみてみましょう。
不満やうれしい気持ち等の感情には,「考える」ではなく「思う」が使われます。
(3)不満に思う。うれしく思う。
(4)?不満に考える。?うれしく考える。
また,故郷や母への強い気持ち等,情緒的な思考をあらわす際にも「思う」が使われることが多いです。
(5)故郷を思う。 母を思う。
(6)?故郷を考える。 ?母を考える。
ただ,「故郷を考える」がシンポジウムのタイトルであれば,故郷について論理的・理性的に思考するというニュアンスから自然な文になります。また,「故郷のことを考える」のように「のこと」をつけると,故郷自体だけでなく,故郷をとりまく様々な事柄も含めた抽象的なものとして表すことができ,「考える」を使いやすくなります(「~を考える」と「~のことを考える」の違いを別の文でみてみると,「献立を考える」という文では,考える内容が具体的な献立そのものであるのに対し,「献立のことを考える」という文は,献立にまつわるあれこれについて考えをめぐらすという意味になります)。
次の場合,「誰!?」と思考したのは一瞬のことなので,「思う」が使われます。
(7)誰かと思ったらあなたでしたか。
(8)?誰かと考えたらあなたでしたか。
逆に,「あれは誰だったのかとずっと考えていたのですが…」のようにその思考が継続的である場合には「考える」が使われます。
次のように,原因を解明したり対策を練ったりするには論理的な思考が必要であり,「考える」が使われます。
(9)少子高齢化の原因を考える。 少子高齢化対策を考える。
(10)?少子高齢化の原因を思う。?少子高齢化対策を思う。
次の例では,「明日までに」「しばらく」という表現から,継続的な思考であることが明らかです。また,このような文脈で思考されているのは,おそらく諾否の返事や適切な案等,何らかの論理的な内容であるところからも,「考える」を使うのが普通です。
(11)明日までに考えます。しばらく考える時間をください。
(12)?明日までに思います。?しばらく思う時間をください。
次の例は,感情的な思考をあらわす文にも見えますが,思考する行為を禁止するような場合は「思う」ではなく「考える」が使われます。
(13)くよくよ考えるな。バカなことを考えるな。
(14)?くよくよ思うな。?バカなことを思うな。
自分の意志ではコントロールしがたい思考である「思う」は,「思考するな」という意味での禁止の形にはなりにくく,「通用すると思うな。」(≒通用しない)「これですむと思うなよ。」(≒これではすまない)のように,思考する行為というより,思考内容を否定し,その認識をたしなめる際に使われることが多いです。
一方「考える」は,自分の意志で考えはじめたり考えるのをやめたりすることができ,他者がその思考を禁止することもできます。上の例の他にも「考えるな,感じろ」「それ以上考えるな」のように思考する行為を禁止する場合に多く使われます。なお,副詞「くよくよ」には「いつまでも気にかける」という継続的な思考の意味があり,そもそも「くよくよ思う」とは言いません。